未知の新型コロナウィルス感染拡大という、かつてない危機が日本だけではなく世界中を襲い、明日の生活や私たちの未来さえ不透明になりつつあります。そんな非常事態の本日、ここに、森町長:太田康雄様、森町議会議員:吉筋恵治様、岡戸章夫様、森町教育委員会教育長:比奈地敏彦様、森町教育委員会教育委員:早馬保男様の御臨席を賜り、閉校式を挙行できますことを、まずは感謝申し上げます。ありがとうございます。
毎朝正門に立ち、朝の日射しを浴びながら路傍の花に彩られた通学路を、きらきら目を輝かせた生徒たちが登校するのを迎える。三倉川の川面を吹き渡る風に季節を感じ、周囲の山や田畑に自然の豊かさを感じる。白亜の校舎と体育館、ぴかぴかに磨かれた廊下とトイレ、美しい環境が美しい心を育み、真剣に学びに向かう生徒たちが教室に集う。私はそんな泉陽中学校が大好きでした。
その私の大好きな泉陽中学校は、いよいよ後4日で、58年の歴史に幕を閉じることとなりました。この58年間で卒業生3477人と今年度の1・2年生17人、合わせて3494人が学び、延べ870名の教職員が教鞭をとってきました。その歴史は3月31日を以て幕を閉じますが、関わってきた全ての人々の心の中に、記憶として永遠に生き続けることでしょう。 さて、泉陽中の歴史を少しひもといてみたいと思います。 三倉中学校、天方中学校を統合し、名前を泉陽中学校として開校したのは昭和37年4月1日、この時の12クラス、生徒数535人は泉陽中の歴史の中で最大の人数です。ただ当時この地にまだ校舎はありませんでした。校舎が完成するのは昭和38年の夏、9月に落成式が行われました。森町最初の鉄筋コンクリート造り、モダンでぴかぴかの校舎は生徒たちの自慢だったそうです。それまで500人以上の生徒は、統合前の三倉中学校、天方中学校の校舎と旧大河内小学校、旧吉川小学校に間借りする形で学んでいました。普段は4カ所の教場に分かれて生活しつつ、第1回の体育大会には全校生徒がこの地に集まり、盛大に行われたと記録されています。この年の高校進学率は40パーセント以下、まだ大半の生徒が中学を卒業すれば就職していた時代でした。
校舎の落成後、体育館の建設、グラウンドや校地の整備、プールの建設と進み、一通り学校施設が完成したのは昭和45年のことでした。当時の生徒数は10クラス368人、今で言う部活動は運動部6、文化部5の11、各種大会でも活躍しました。そして高校への進学率も50パーセントを超えてきます。
そのような充実期の泉陽中学校を、昭和49年、未曾有の災害、七夕豪雨が襲います。特別教室棟が床上浸水の被害に遭ったほか、プール・グラウンドは流れ込んだ土砂により使用不能となりました。在校生の自宅被害も深刻で、全壊や流失により家を失った生徒が9名、半壊が5名、床上浸水被害が16名という状況でした。しかし、校舎本体には大きな被害がなかったこともあって、7月11日には授業を再開しました。ただ生活道路等の被害も大きく学校まで通学ができない生徒もいて、一学期末まで三倉小・旧大河内小へ職員が出向いて出張授業を行いました。並行して続けられた復旧作業には、地元の方々や消防団、町内の教員、森中の生徒までお手伝いに来ていただいたそうです。そして浸水被害から完全に復旧したのは4ヶ月後の11月でした。
昭和の終盤、高度経済成長で世の中がどんどん豊かになっていくのに反比例して、本校の生徒数は減少の一途をたどっていました。また新築当初は生徒の自慢だった校舎も、老朽化とともに日当たりの悪い設計が問題視されるようになりました。昭和61年新校舎の建設推進委員会が立ち上げられ町当局に陳情、校舎新築が議会で採択されました。昭和63年7月起工、元号が替わった平成元年3月に現在の校舎が竣工しました。泉陽中学校はその名の通り、明るくモダンで最先端の設備を備えた、素晴らしい校舎を手に入れたのです。
ぴかぴかの新校舎ができあがり、平成3年には創立30周年を迎えました。記念事業として校舎玄関横に「青空の像」が建立され、11月には記念式典が行われました。しかしこの記念すべき年にとうとう全校3クラスの単級規模の学校となり、翌平成4年には、生徒数も100人を下回ってしまいました。そして、平成16年、老朽化した旧体育館を解体し新体育館が建設されます。他に誇ることのできる立派な体育館が平成17年3月に竣工しました。これで現在の学校の姿が完成しました。
新校舎に新体育館、そのきれいな建物をいつまでも・・・と「きれいな学校作り」を教育の中核とし「トイレ清掃ボランティア」にも取り組んで現在の泉陽中教育の形ができあがります。平成23年には、創立50周年を迎え記念事業として校歌の合唱曲化と校訓碑設置に取り組みました。合唱版校歌はそれからずっと歌い継がれ、今では泉陽中学校の宝物となっています。この50周年の年の生徒数は61名でした。元号が令和と替わり閉校が決まった今年度、全校生徒数はその半分以下の29名です。
今年度は、閉校に向けて「残す・繋ぐ」を合言葉に教育活動を進めて参りました。泉陽中の歴史を、素晴らしさを記憶に残す、泉陽中の魂を次に繋ぐ、という二点を目指したものです。学習だけでなく、行事や掃除など何事にも真剣に向き合う姿、人数は少なくとも大規模校の生徒に負けないぞと全力で取り組む姿、トイレ掃除ボランティアに代表される「人の役に立つことを、自ら進んで行う」姿は、泉陽中生徒が持っている美しい心の表れであり、まさにそれが泉陽魂です。学校がなくなっても、卒業生やこの地で育つこれからの子供たちがその美しい心を失わない限り、泉陽魂は不滅です。いや、そうであってほしい、泉陽魂よ、永遠たれと強く願っています。
私は、この学校に5年間勤務させていただきました。58年の中のわずか5年ではありましたが、その間に創立50周年事業があり、今回の閉校という一大事業がありました。その意味で私自身の教職生涯でも格別の5年間となりました。私はそんな泉陽中学校のことを、決して忘れることはありません。 最後に、58年の間泉陽中学校を支えてくださったすべての皆さんに、心から感謝申し上げて式辞とさせていただきます。
令和2年3月27日 森町立泉陽中学校第22代校長 寺田敦朗 私の式辞に続いて森町長、太田康雄様より告示です。続いて、生徒代表挨拶・・・ まず最初に、1・2年生を代表して3年生へメッセージがあります。3年生の皆様、ご卒業おめでとうございます。今回新型コロナウイルスの影響で卒業証書授与式を行うことができず、とても残念に思います。今年で最後の卒業式。3年生をしっかりと送り出したいと思っていました。3年生は、私たち以上に悲しい想いをしたと思いますが、この泉陽中学校での3年間を誇りに思って、次のステージで大きく羽ばたいてください。 さて、いよいよ閉校の時が訪れようとしています。58年間にわたって、この地区の中学生を指導してくださった多くの先生方、職員の方々、PTAや地域の皆様のご支援があって、今の私たちがあることを深く実感しています。58年の歴史の中には、様々なことがあったと思います。つい先日まで当たり前のように通っていた泉陽中学校が閉校してしまうのは正直とても悲しいです。もう叶わないことは分かっていますがまだ、あの教室で友だちと先生方ともっと勉強がしたかったです。 泉陽中での思い出の中で一番印象的なのは、陽光祭です。陽光祭では、みんなの団結力が一段と光っていました。いつも優しく、一生懸命指導してくれる先輩方、その期待に応えようとする下級生たち。陽光祭を通してみんなの絆がより深まりました。その他にも、この学校で学んだこと全てが今では良い思い出になっています。こう思うと、やっぱり少し寂しい気持ちが残ります。でも、この気持ちは太田川の源である三倉川に流して、私たちは少しずつ前を向いて進んでいきたいと思います。 泉陽中学校の生徒はみんな元気があり、優しく、たくましい生徒です。1・2年生は4月から森中学校へ、3年生は高等学校に進みます。不安や心配なこともあると思いますが、この泉陽中学校で学んだことを信じ、それぞれの「泉陽魂」と泉陽中最後の生徒としてのプライドを持って共に励まし、支え合って頑張っていきます。 最後に、全校生徒29名を代表しまして感謝の気持ちをお伝えします。「私たちを支えてくださった全ての方々、そして泉陽中学校、本当にありがとうございました。」
令和2年 3月27日 生徒代表校旗の返納・・・閉校ソングの披露・・・3年生は卒業式で歌う予定だった合唱曲「遙か」も歌いました。そして最後は、全校で合唱版の校歌・・・精一杯最後の校歌を歌い、式を閉じました。式後は教室でそれぞれ思い思いのメッセージを残しました。なお、今日の閉校式の様子は夕方のニュースで紹介されます。
1年生のうち1軒は、昨日のうちに渡してあります。私が話す予定だった式辞を掲載します。 令和元年度 修了式 式辞 卒業式そのものを含めて、有終の美に向けて準備してきたものが何もできない、寂しい年度末となってしまいました。泉陽中学校が閉校してしまうと言うのに、何もそれらしいことができないのが、本当に悔しく悲しいです。 正直なところ、今回の新型コロナウィルスのことはわからないことが多すぎて、今後もどのようなことが起こるのか、全く予想もできません。そのような中で、イタリアはミラノのある校長先生が生徒へ宛てた手紙が話題になっています。一部を抜粋してみます。「今大切なことは冷静さを保ち、集団のパニックに巻き込まれないこと。そして予防策を講じつつ、いつもの生活を続けて下さい。せっかくの休みですから、散歩したり、良質な本を読んでください。体調に問題がないなら、家に閉じこもる理由はありません。スーパーや薬局に駆けつける必要もないのです。マスクは体調が悪い人たちに必要なものです。 世界のあちこちにあっという間に広がっているこの感染の速度は、われわれの時代の必然的な結果です。ウイルスを食い止める壁が存在しないことは、今も昔も同じ。ただその速度が以前は少し遅かっただけなのです。この手の危機に打ち勝つ際の最大のリスクは、社会生活や人間関係の荒廃、市民生活における蛮行です。見えない敵に脅かされた時、人はその敵があちこちに潜んでいるかのように感じてしまい、自分と同じような人々も脅威だと、潜在的な敵だと思い込んでしまう、それこそが危険なのです。 ペストが流行した16世紀や17世紀の時と比べて、私たちには進歩した現代医学があり、それはさらなる進歩を続けており、信頼性もある。合理的な思考で私たちが持つ貴重な財産である人間性と社会とを守っていきましょう。それができなければ、本当にウィルスが勝利してしまうかもしれません。 では近いうちに、学校でみなさんを待っています。」 私も全く同じ気持ちです。予防策を講じつつ、いつもの生活を続けて下さい。何があっても落ち着きを失わないことこそが大切です。 それでは、泉陽中学校最後となった191日間の令和元年度を修了します。皆さんが、無事に今日を迎えられたのは、当たり前のことのようですが、いろいろな人やものに、助けてもらったり支えてもらったりしたからです。最後にこの一年お世話になった、全ての人やものに、感謝の気持ちを表すのを忘れないでください。校長先生も、今日まで頑張ってきた皆さんと、先生方、そんな私たちみんなを見守ってくれた地域の皆さん、おうちの人、学校の校舎や教室、泉陽中学を囲む山や川、全てに感謝したいと思います。1年間、いや、58年間ありがとうございました。
令和2年3月19日 泉陽中学校長 寺田敦朗